「どうなると思う?」 「どうしてだと思う?」
探究の活動で、私たちもよく使う言葉です。すぐに答えを伝えず、まず子どもに聞いてみる。何を考えているんだろう、どんな予想をするんだろうと思いながら、問いかけます。
でも、この言葉を使っただけで、探究が成立するわけではありません。
聞いてみたけれど、答えが出てこないこともあります。元気よく答えてくれて、盛り上がって、それで終わることもあります。一方で、同じ問いをもう一度聞いたら、さっきとは違う話が出てくることもある。
何が違うんだろう。
活動を作り、実践し、記録を読み返す中で、私たちは、同じ言葉でも問いには違う役割があると整理するようになりました。今は、問いの言い方とともに、その前後にどんな経験を用意するかを重視しています。
問いを投げたところで終わらせず、そこから子どもが考え、試していく過程まで設計する。それが、私たちの基本的な考え方です。
「桜はどうしてピンクだと思う?」
桜の色を扱う活動で、子どもに「桜はどうしてピンクだと思う?」と聞いたことがあります。
いきなり聞かれても、なかなか答えは出ません。「ピンクだから」という返答もあります。
そうだよな、と思うんです。桜はピンクなんだから、ピンク。普段そういうものとして見ているのに、突然「どうして?」と聞かれても、何を手がかりに考えればいいのでしょう。
大人の私たちも、自分が何も知らないことについて、いきなり理由を聞かれたら困りますよね。考えてほしいという気持ちで聞いているけれど、子どもの側からしたら、ずいぶん難しい問いを渡されているのかもしれません。
ところが、色の変化を確かめる実験をしたあとに、同じ問いを置くと、色のもとがあることや、実験で見た色の変化と結びつけて話す姿があります。
問いの言葉は変えていません。でも、問いと問いの間に、見たり試したりしたことがある。その経験を手がかりに、桜の色について考えようとする姿が出てきたんです。
ここでは、実験で起きた色の変化を、そのまま桜がピンクである理由の説明にはできません。また、実験の内容を覚えて話しているのか、自分なりに関係を考えているのかも、発言だけで判断はできません。
私たちが注目したのは、同じ問いに向き合うときに、子どもが参照できる経験が加わっていたことです。最初の問いと実験後の問いには、違う役割がありました。
最初は、勘でもいいと思います
では、手がかりがまだ何もない子には、予想を聞かないほうがいいのでしょうか。
私たちは、最初の問いにも、興味を持つ入り口としての価値があると考えています。
当てっこゲームのようになっても、いいことはあります。「こっちかな」と、なんとなく選んでみる。そのことについて、ほんの少し考えてみる。自分が答えたから、結果が気になる。そこから、もう少し見てみたい、触ってみたいという気持ちにつながることがあります。
最初から、ちゃんとした理由がなくてもいい。勘で言ってみたことが、関心の入り口になるかもしれない。
ただ、問いを出して、答えてもらって、正解を発表して、「盛り上がったね」で終わったらどうでしょう。
私たちは、それだけで探究ができたとは捉えません。よい入り口ができたなら、その先に、子どもが自分で確かめられる機会を用意します。
気になったものに触れてみる。実際にやってみる。もう一回やったらどうなるかを見る。最初は勘だった予想にも、自分が見たことや感じたことが少しずつ加わっていく。
最初の問いにうまく答えられたかよりも、その問いから何が始まったのか。私たちは、そこを見ています。
同じ問いでも、役割が違う
今の私たちは、問いを大きく二つの役割に分けて考えています。
一つは、興味を持つための問い。少し気になる、答えてみたくなる、結果を見たくなる。まず、そのことに触れるきっかけになる問いです。
もう一つは、ある程度の見通しを持って考えるための問いです。
「前はこうだったから、今度もこうなるかな」 「でも、ここが違うから、違うかもしれない」
こんなふうに、自分が見たことや試したことを使って考える。予想が外れても、その子なりの手がかりがあるから、結果と比べてみることができます。違いが気になれば、さらに試すことにもつながります。
この二つの問いを、どうつなぐか。そこが、私たちが探究を設計するときに重視しているところです。
興味を持ったから、すぐに見通しを持って考えられるわけではありません。一度やれば、次から自分で考えられるとも限りません。何度か触れてみて、別の場面でも出会って、ようやくつながることもあります。
そして、これは子どもを二つの能力段階に分ける話ではありません。同じ子でも、よく知っていることと初めて出会うことがあります。その子が今、何について、どんな手がかりを持っているのかによって、問いの役割は変わります。
見通しがあっても、言葉で説明するとは限りません。先ほどと違う置き方をする、材料を選び直す、もう一度同じことをする。私たちは、答えの言葉だけでなく、その前後の行動も合わせて見ていきます。
一回の活動で、両方やろうとしていました
探究活動を届け始めたころ、私たちは、この二つを一回の活動の中でやろうとしていました。
まず興味を持ってもらう。体験する。予想する。試す。考える。計画にすると、流れはできています。自分たちでも、これならつながるだろうと思っていました。
でも、実際にやってみると、難しかったんです。
こちらは次に進みたい。でも、その子は、今使い始めた道具が面白いのかもしれない。初めて起きたことを、もう一度見たいのかもしれない。こちらが考えている「次の問い」に向かう前に、その子がやりたいことが、まだあるんですよね。
それなのに、「体験はできたから、次は予想してみよう」と進めていなかったか。
振り返ると、子どもの中で起きることを、こちらの時間割に合わせようとしていた部分がありました。
一回の活動の中でつながることもあります。ただ、それを毎回、どの子にも期待する設計には無理がありました。興味を持ち始めたところから、見通しを持って考えるところまでの時間を、短く見積もりすぎていたんです。
最初に興味を持つことは、その後の活動を深める大切なきっかけです。その興味があるから体験が面白くなり、もっと知りたくなることもある。だから、興味を持つ時間を短く済ませたいわけではありません。
その興味から始まる時間を、一回の活動の枠よりも大きく捉える必要がありました。
活動が終わっても、探究が続くように
今は、私たちが訪問する時間だけで完結させず、日常の中で探究が続いていく状態を、園の先生方と一緒につくっています。
活動の中で気になったことを、あとでまた試せる。散歩で似たものを見つけて、思い出す。友達がやっていることを見て、自分もやってみたくなる。子どもが考えるための手がかりは、そうした日々の中にもあります。
ずっと問いかけ続けたり、一日中、何かを考えさせたりすることを目指しているわけではありません。気になったときに、続きを始められること。その続きを、周りの大人も一緒に面白がれることを大切にしています。
私たちの活動時間の外にも、子どもの経験は続いています。そこで見たり試したりしたことが、次に同じ問いに出会ったときの手がかりになる。その時間まで含めて、探究の活動を考えています。
問いと問いの間に、何があったのか
「どうなると思う?」と聞けば、探究になるのか。
問いかけは、探究のきっかけになります。ただ、その言葉を使ったことだけでは、活動の中身は決まりません。私たちは、興味を持つ問いから、自分の経験を使って考える問いへつながる過程を大切にしています。
最初は、勘で答えてもいい。「なんとなく」でもいい。そのことが気になって、触れたり試したりする。もう一度問いに出会ったときには、さっき見たことを思い出して考えるかもしれない。
問いの言葉は同じでも、その間に何があったかで、意味が変わるんです。
私たちは、つい、よい問いの言い方を探したくなります。どんな聞き方なら、子どもが考えてくれるだろう。どんな言葉なら、意見が出るだろう。もちろん、それも考えます。
でも、言い方を工夫するだけでは届かないことがあります。その子は何に出会ってきたのか。今、何を手がかりにできるのか。問いに答えたあと、何を試せるのか。そこまで考えて、初めて問いの置き方を決められます。
同じ問いなのに、子どもから出てくるものが違う。そこを振り返ると、大人が投げた言葉以上に、その間に子どもが過ごした時間が気になってきます。問いを考えていたはずが、日々の経験のつながりを考えることになる。難しいですが、面白いところですね。
みなさんが子どもに聞いた「どうしてだと思う?」は、どんな時間の中にあったでしょうか。その前に何があって、そのあとには何が続いたでしょうか。
私たちも、問いと問いの間にある経験を見ながら、活動を見直していきます。また共有できる気づきがあれば、ここに書いていきたいと思います。